789年延暦十七戉寅
弘法大使空海入唐前七ヶ年、密教弘隆の祈願を修法される。
990年正暦元己亥
浄土教弘布を祈願され、一条天皇御願、恵心僧都源信(942~1017)浅原谷に安養寺を創建。
1086年応徳三丙寅二月
朝原山寺奥の院羅教堂、後の大堂裏山に白河法皇、院政を施行に際し成就を祈願され、三つの経塚を造営供養される。
保延元乙卯
堀河法皇、鳥羽法皇と三代を経るを得て、崇徳天皇、院政成満を供養し、大堂下の段に蓮台院が備前守平忠盛に依って建立され、父神毘沙門天王(国重文) 母神吉祥天女(国重文)その子善尼師童子を中尊に大堂祭祀の貞観仏四体を加え百体の等身大毘沙門天立像が祀られる。一代三十年、三千年続く家族繁栄の姿を実現される事を祈願される。
1151年仁平元壬申
千光大師栄西当安養寺静心を戒師に出家す。
1177年治承元丁酉六月
朝原寺に於いて安養寺調御坊(重源)を戒師に大納言藤原成親出家す。
1201年建仁元辛酉
栄西の高弟栄朝、退耕勇猛等に依って天台、真言、禅の三教を兼学とし、朝原寺を天台より真言とする。
1262年弘長二辛酉
栄西國師五十回忌供養の為、孫弟子京都東山東福寺開山、聖一国師円彌弁圓備中に赴き朝原塔を建立落慶す。
1336年建武三丙子
北朝の新田義貞破れ南朝足利尊氏攻め勝つ福山合戦の際、朝原谷安養寺他十数ヶ寺と大堂のみを残し、「朝原千坊」と呼ばれた大伽藍が灰盡に帰す。
1392年明徳二乙巳
後小松上皇新御所に移りし年、吉備津宮遷宮式典に国中有力寺院として安養寺の稚児が舞楽を奉納す。
翌1426年応永三十三丙午
九月二十日
九月二十日
郷社二十数社を合祀した総社宮遷式に朝原寺の稚児が舞楽を奉納す。782年延暦元年開創の朝原山寺「朝原千坊」の朝原寺の歴史は安養寺に継承される。
1667年寛文七丁未五月
池田藩神道請政策(廃仏棄釈)に依り朝原寺破却さる。
1717年享保二戉酉
羅教堂より大堂、大堂より毘沙門堂へと祭祀された毘沙門天群像承仕の為、朝原谷(浅原911番地)より、浅原藏見谷1573 番地現安養寺の地に登る。新田の庄(群馬県尾島町) 世良田郷の長楽寺は栄西の高弟栄朝に依って開かれ、新田本家新田義重の四男義季が、徳川家の祖である事より安養寺が祭祀され現在に至る。
ご あ い さ つ
はじめまして
朝原山 安養寺 住職の小畑 徹全です。
「浅原のびしゃもんさん」
みなさん、ご存じでしょうか?
千年の昔より浅原を見守り続ける毘沙門天さまです。
近隣の方々には、親しまれています。
当山の歴史は重く、とても深いです。
幅広く、安養寺を知ってもらうため、お寺に来てもらい、ご縁をつくっていくため、この度、ホームページを立ち上げることとなりました。
コロナの影響により、今まであたりまえのようにできていたことができなくなりました。とても不安な日常が続いています。
今、私にできることは何か。
世界中の人々に毘沙門天さまの「力」と「勇気」を送り続けていくことそれが「前向きに生きる力」となりますように。祈り続けることです。
当山のホームページへとお越しいただいたのも一つのご縁だと思います。写真から安養寺を身近に感じていただき、近くにお越しの際は気軽にお参りください、毘沙門天さまが「運気」を授けてくださいます。
今後も、さまざまな情報を発信していき、みなさまに安養寺を知っていただきたいと思います。